ジギー・ポップは死んだ

もう死んだ人よ

やれやれ、今日は1月29日だ。

 祖母からのLINEが入る。東京行きに、妹にアクセサリーを買ったという。それを届けにいくという連絡だった。わたしは今年の二月中旬、東京に行く。

「はい。受け取りに行きます」

 てっきり、マンションの下までやってきて、わたしを呼び出す魂胆かと思い、わたしは靴を履いた。ノーブラに上はもこもこのパジャマ。下には仕事用のジーンズを履き、上着のボタンをしっかりと閉めた。これがうつ病ファッション。わたしはこれから、薬局に出かけるのだ。褒められたことではない。薬局を三件回って、好みの薬をかき集めるつもりだ。

 靴を履いていると、ポストからがさごそと音がした。祖母が外から荷物をポストに押し込んだのだ。わたしは扉を開けた。もう祖母はわたしの家の前を過ぎ去っていたが、わたしが扉を開けたことに気がついて踵を返して戻ってきた。

「なんね、ずーちゃん。出かけるんね」

 カバンを下げたわたしを見て祖母は言った。

「うん、ちょっとTSUTAYAまで」

「送って行こうか」

「うん」

 祖母は、マンションの下に車を停めっぱなしにしてきたといって慌ててエレベーターへ向かっていった。一緒にエレベーターに乗り、祖母はすたすたと歩いて車に向かってしまう。わたしは立ち止まってカバンの中を漁った。トニンの箱とブロンの瓶を、マンションのエントランス横のゴミ箱に捨てた。親に見つかるのが嫌で、わたしはこっそりゴミを外に持ち出してわざわざ捨てなければならない。祖母はわたしが立ち止まったことに気づいたか、それとも気づかなかったか。わたしのことなど気にせず、停めっぱなしの車に向かっていった。

 派手な黄色い車。もう十年以上これに乗り続けている。わたしはいつも祖母の車に乗るときのように後部座席に乗ろうとしたけど荷物が乗ってあり、「今日は横に乗って」と言われた。

「いやぁ、今日はおばばも暇しとってね、ずーちゃんに連絡しようかと思ったったんよ」

「今日月曜日やもんねぇ。月曜じゃなかったら、美術館のレストランに行きたかった」

「そうなんよ、おばばが暇な日はいっつも月曜日なんよ」

 美術館の丘に立ち、自然を眺めて、そこの空気を語る動画を祖母がたまに送ってくる。たいてい、月曜日だ。月曜日は市立美術館は休館日なのだ。

「美術館の丘でお弁当でも食べない?」

「えー、パジャマで来ちゃった。今日はいいや。美術館の空いてる日にまた行きましょ」

 スッピンにマスク。コートの下はノーブラ。とても外を出歩いていい格好はしていない。どうせ美術館のあの小高い、自然の豊かな丘に行くなら、こんな陰気なファッションじゃなくて、もっと美術館の森に溶け込むような服を着て出かけたかった。

そうこう話しているうちに、車はTSUTAYA付近に着いた。わたしの自宅からTSUTAYAまでは近いのだ。

「終わったらお迎えにこようか?」

「いや、いいよ。TSUTAYAだし。すぐそこだし。歩いて帰る」

 だって、ほんとうはTSUTAYAじゃなくて薬局に寄りたいんだもん。

「ではね」わたしは車を降りて、派手な黄色い車が走り去っていくのを見送った。(最近そうなった)歩車分離信号を渡り、そのまま薬局に直行しようかと思ったが。せっかくなのでTSUTAYAに寄ってアリバイを作ることにした。

近所のTSUTAYAは、年々売り場面積が少なくなってきた。まずは本のフロアに文房具コーナーが増え、雑貨コーナーが増え、その後にカフェが併設され、終いにはカフェの面積が増えた。本の売り場面積はどんどん縮小され、小説コーナーも移転していて少々迷った。やれやれ、わたしはようやく国内小説コーナーに辿り着き、最近なんとなく読みたくなった村上春樹を探す。村上龍でもいいな、と思ったけど。この店には『限りなく透明に近いブルー』しか置いてなかった。これは大学生くらいの時に読んだ。もう内容は何も覚えちゃいないけど。恋人が読んで、こいつ(村上春樹)はダメだと失望したという『海辺のカフカ』を手に取ってみる。ちょっとファンタジーなのかもしれないな、わたしはファンタジーはあまり得意ではないんだよな。と思いとどまる。第一、ここで小説を買ったところで読み終えられる保証はない。わたしはもう一年も重松清の『疾走』の上巻を読んでいる。読み終わる気配がない。『海辺のカフカ』も上下巻に分かれていて、読み終わるまでに途方もなさそうだった。村上春樹の短編は苦手だということを、この間の入院中『一人称単数』を読んで知った。どれもこれも何が言いたいのかさっぱりわからない短編が散りばめられた本だった。射精がしたいだけじゃあないか!一冊で完結していて、短編ではなくて、適度に読み応えがありそうな薄くも分厚くもない本。そこで手に取ったのが『スプートニクの恋人』だった。開いた瞬間、今日はこれだ!と思った。主人公の名前が、今日誕生日を迎えた幼なじみの名前と一緒だ。今日買うなら、これがいい。

 

 わたしは『スプートニクの恋人』とトニン2本、ブロン一瓶と、葉が白くなるとネットで見かけた歯磨き粉をエコバッグに詰め込んで、コートの中のもこもこのパジャマが汗ばむ中、日光を浴びながら歩いて、帰路についた。

 

 

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ちょんまげの男

 わたしが今、保育の仕事をしているのはいとこのせいである。いとこがかわいすぎたせいだ。

わたしにはいとこが一人だけいる。5歳年下の男の子。子どもの頃はよく彼に世話を焼いては一緒に遊んで、そうこうしているうちに自分は小さな子どものことが好きなのだと自覚し始めた。わたしはそこから保育士になった。

 

 先日、叔母の家にやってきた。わたしと叔母に血縁関係はない。叔父は父の弟だがわたしが8歳の時に亡くなった。叔父のことも、いつかブログにしたためようと思う。わたしが30歳まで生きていたら。

叔母といとこはずっと山の上に住んでいた。父の実家が同じ山の上にあって、きっと叔父がその山を気に入っていたんだろうなと推測できる。それが、今になってとうとう「下山しました」というのだ。何も母校の隣に住まなくてもいいじゃないか!わたしと叔母は出身高校が同じである。あの忌々しいブラック校則高校。そのグランドの隣に叔母のマンションがあった。中はとても綺麗で片付いていた。前の団地に住んでいた時も、団地が古すぎて気づかなかったけど叔母は家をきれいにしていたんだな。

しかしこの家にいとこはいなかった。いとことは離れて暮らしているというのだ。今年21歳になるいとこは、叔母の実家で暮らしているという。叔母は実家にご立腹だった。いとこに「援助をしないで欲しい」と言うのだ。いとこはまともに仕事が続かない。色々な場所を転々としているようだ。その間、当然無職の機関が存在する。その間の生活の世話を実家が働くのだという。それはまだ許せる。いとこは車が好きで、免許が取れるようになってからすぐに車を乗り回すようになった。改造もしている。そのローンや資金まで、実家が無責任に援助するものだから、叔母は怒っているのだ。実家は年金生活。もし、そういった援助が突然できなくなった時にいとこはどうなるか。借金にまみれる。ここまでの話を叔母から聞いて、わたしの母は言った。

「それじゃあお父さんの二の舞やん」

そう、叔父は。いったい何に注ぎ込んで、どれだけの額があったか知らない。当時8歳だったわたしは心臓発作で死んだと聞いた。でも、ほんとうは違う。借金を苦に自殺したのだった。

いとこにもそうなって欲しくない。

いとこは3歳になる直前で父親を亡くしている、父がどのように生きていたかなんて見たことがないのに、どうしてこういうところだけが、怖いくらいに似てしまうのだろうか。

叔母の実家に居着いているのはいとこだけではない。叔母の弟も実家を出られず。仕事はしているが満足いく収入はなく、家にお金を入れてもいないらしい。もうほんとうにいい歳であるのに。わたしでさえもういい歳なんだから。叔母の弟はこじんまりとしたバーをやっている。すごく雰囲気はいいのだが、確かにいつも店が静かすぎる。いついっても、お客がいない。叔母はきちんとした稼げる仕事に就け、と弟に話すが実家が「それはストレスがかかる」といって介入してくるらしい。叔母からしたら、どんな仕事だってストレスはつきものだという。それは、そう。

 

 わたしはここでいとこにLINEを入れた。「わたしの新しいおうちにケーキを食べにこない?」と。

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この日はクリスマスイブだった。新しいおうちとして送った住所は叔母の家。いとこへの金銭的援助への問題でもう実家と一年以上連絡をとっていないという叔母、叔母の新しい住所を息子であるいとこは知らないのだという。いとこからはすぐに返事が来た。意外だった。叔母も驚いていた。「あんずにはすぐに返すんやね」と。今は友だちと一緒だから行けない。夕方なら行けるかもと言う。

この日の夕方はわたしたちは祖母(母方。なのでわたしといとこの祖母ではない)の家でクリスマスパーティをしているから、来るならそっちにおいでよと誘った。

 

 夜になっていとこから連絡が来た。もうすぐ祖母の家に着く、と。わたしはコートを着て祖母の家の近所の目印になるホームセンターの前でサンタの帽子をかぶって立って待っていた。いとこの車を見るのは初めて。インスタグラムに写真をあげていたから、車のナンバーは知っていた。だから、通ればわかるもんだと思っていた。しばらく通り過ぎる車のナンバーを確認しては、ああ違う、いとこじゃあない。ということを繰り返していたが、しばらくするとボンボンボン、という車内から漏れ出す音楽の重低音、そして眩しい光と共に一台の車が近づいてくる気配が(車はまだ湾曲した道の向こう側にいてこちらからは見えないのにライトが煌々と光っているために車が近づいているのがわかる、それも紫色のライトがビカビカと点いていた)した。中には彫りの深い若い男(いとこ)と知らない男の子が一人乗っていた。その後ろから、まるで暴走族のバイクかというくらいブンブンとうるさい轟音のするマフラーを搭載した車もついてきた。いとこは友人を二人連れてわたしの前に現れた。「30分顔を出したら帰る」といとこから言われていたが、友人を待たせるつもりでやってきたのか。

それにしても車から降りてきたいとこはまたパンチが強かった。いとこと最後に会ったのは二年前くらい、その頃は高校を卒業してすぐで、中身はヤンチャだったけど外見は普通だった。いとこは色を抜いて金髪にした髪を少しだけ伸ばし、襟足は下ろしているが他はちょんまげにして(ロン毛を結ぶというのはまるで叔母の弟みたいだ)いるという、ヘンテコでセンスを疑う髪型で現れた。しかし彫りが深く顔が濃くて整っているのでこれがイカしたヤンキー兄ちゃんに見えてしまうのだった。耳にもピアスが2つも3つも付いている。ああ、叔父もリヴァー・フェニックスに憧れていたかロン毛だった時期があったことを思い出す。

いとこは一旦友人を取り残して祖母の家に来た。祖母の家にはわたしの父母と、それから近所のおじさん(赤の他人なのに身内のような顔をして訪れる)がいて、みんなにいとこが友人を待たせているということを話したら「お友だちも呼びなさい」ということになり、ホームセンターに車を停めっぱなしにしておくのもアレなので、近くのコインパーキングに車を停めてきてもらうことにした。わたしはコインパーキングへ誘導するためにいとこの紫色の光を発する車に乗った。乗ったら、車の天井に窓がついていた。わたしは思い出した。叔父の車の天井もこんなふうに窓がついていて、そこから顔をひょっこり出したことを。わたしは話した「わたしはあなたのお父さんの車に乗ったことがあるけど、こんな風に上が空いてたよ」と「え?マジ?覚えとるん?」といとこはなんだかうれしそうに訊いてきた。

 雨が降っていたが、いとこは傘を持っていなかった。わたしがいとこに傘をさしてやったら、最初は入りたがらなかったけどしばらくすると「俺が持つよ」と言って傘を持って二人で並んで歩いた。そのスマートな優しさに、ああ、こいつは子どもじゃなくて大人の男になっちまったんだなぁ。といとこから香る香水の匂いを感じながら思った。

いとこは雨の中歩いているとふと、「お母さんもあんずのパパも知らない、ジジババ(叔母の実家)しか知らんのやけどさ」といってとある秘密を教えてくれた。悲しい知らせだったけど、その選択は間違っていないと思った。きっと親戚にこれを話したら悲しむし、叔母は激昂するだろうから誰にも言わないでわたしの胸にとどめておくことにした。なんでか、そんな重大な秘密を打ち明けてくれるくらいにはわたしのことを信頼しているみたいだし、その信用を失いたくないから。叔母とは「縁を切ったようなもん」とヘラヘラしながら言った。車の書類の関係で先週会ったって聞いたんだけどね。叔母から。

祖母の家では想定外(いとこの友人二人)の客人の量に机がぎゅうぎゅうだったがなんとか並んで座り、わたしはいとこの横に座った。わたしはいとこの横に居座りながら、はてわたしはどのような面持ちでここに座っていたらいいのかわからなかった。お姉ちゃんぶればいいのか?しかしわたしは実の弟がいながら家庭でも特にお姉ちゃんらしい振る舞いなんてしたことがなかった。いとこはたぶん、わたしのことをお姉ちゃんだと思ってこうしてLINEで一報入れればホイホイとついてやってくるくらい素直に慕ってくれているみたいだが。

若い男の子たちはほんとうによく食べる。もう食事は済ませてきてしまったというのに、たくさん食べた。わたしの祖母は次から次に肉やらフルーツやらお菓子やらをせわしなく出してくるが、いとこを含む若い男の子たちはそれに度肝を抜かれ、またきたよと笑いながらもなんだかんだ食べたりなんだりしていた。見ているこちらが体調が心配になるくらいたらふく食べていた。いとこはしきりに友人たちにわたしの弟の話をしていた。いとこは弟のことが大好きみたいだ。弟はイケメンで背も高くて(言うほど高くないがいとこは弟の身長が180cmあると思っているようだ)……クリスマスイブなのにいそいそとジムに出掛けていたこと(いとこが到着した時、ビデオ通話を弟と繋いだ)なんかを話していた。

晦日には弟も帰ってくるよ、大晦日、また祖母の家においでよ。と誘った。「暇だったらね」と言っていたことその友人たちは帰って行った。

 叔父の血は濃い。顔も叔父に似ているし、兄(わたしの父)と違ってヤンチャなところも似ているし。叔父が生きていたところを見ていたわけじゃないのに。どうして叔父を追いかけるようにしていとこは生きてしまうのか。心配は尽きないが。わたしの顔に「まつげがついてるよ」と言って指で優しく取ってくれた優しさに、ああ、すっかりお兄ちゃんになってしまって。と感心もするのであった。

いとこはいまでもかわいいいとこであった。

べべのこと。

 

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 2022年9月16日、早朝。べべは車に轢かれて死んだ。その日は昼に憔悴した様子の母が自宅に帰ってきて「大事なお話がある」と言った。母の口から"大事なお話"という語が出る時は十中八九訃報である。叔父が死んだ時もそうだった。母と二人でワンワン泣いた。どうしてべべが。あのかわいくてお利口なべべが。車なんかに轢かれて死ななければいけなかったのか。べべのばか。何で車なんかに轢かれてしまうんだ。あんなに賢い子だったのに。

べべがこの世を去ってから、もう一年が経つ。まだべべの死が苦しく、つらいけれど、ここに記してみようと思う。

 

 べべは、野良猫だった。どこからともなく"しまちゃん"が連れてきた。

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しまちゃんは怪我をしているにゃんこで、おばばの家の玄関先に住み着いた。しまちゃんはおばばの飼い猫の宇宙太やヤミと違って、大人しくおばばの膝で毎日薬を塗られても嫌がる素振りを見せなかった。しまちゃんはオス猫であったが、ある日突然小さな小さな子猫を連れてきた。痩せていて汚い、べべっちい子猫だった。なのでわたしはこの汚い子猫をべべと呼ぶことにした。

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 べべは、おばばの家の玄関先で、しまちゃんのお腹の上で眠った。

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しまちゃんは時折り頭を上げて、べべがお腹の上で眠っていることを確認すると安心してまた自分も眠るのだという。母猫はどこへ行ってしまったのか。しかしシングルファーザーしまちゃんは、ある日忽然と姿を消してしまった。あと少しで怪我が治るといったところだったのに。ピタリと姿を見せなくなった。べべを置いて。まるでおばばと顔合わせをさせ、「ここならこの子を任せられる」と安心して置いて行ったかのように。それ以後、しまちゃんは一切姿を見せることはなかった。

 おばばには宇宙太とヤミという飼い猫がいる。とても神経質で臆病で、とても他の猫とは一緒に暮らせない。べべは玄関先の小さなカゴに入るのがお気に入りだったが、おばばはこの子はよその子、面倒は見切れない。とある朝まだ小さかった赤ちゃんべべを野良猫協会(とおばばは呼ぶがどこにそんな猫の集落があるのかわたしは知らない)に捨ててきた。しかし昼過ぎ、べべはおばばの家に帰ってきていた。子猫では到底帰って来れぬと思った道を潜り抜けて、べべはまたいつもの所定のカゴの中に入っていたという。

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べべは活発だった。網戸によじ登るその姿は「おうちのなかにいれて」と懇願しているかのようだった。それでも、おばばは「ダメダメ」と言い、仕方なしにべべを庭に住まわせていた。あんまりにもおてんばでどこにでもよじ登るので、おばばからは「エイリアン」だとか「猫と猿の合いの子やなかろうか」と言われていた。

 

 そうこうしているうちに、おばばは引っ越すことになった。小さな家を手放して。斜め向かいにある大きな空き家に引っ越すのだという。少し広い家になり、にゃんこたち(うちゅやみ)が過ごす部屋もできた。このタイミングでようやく、べべは3匹目のおばばの家の猫として迎え入れられた。

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(これがおばばの家の子になって間もない頃の写真。まだ少し身体が小さい)

べべはこの頃から非常に人懐っこい性格で、おばばのみならず、お客さん(おばばは自宅で商売をしている)に撫でられたり、構われたりすることが好きだった。

わたしは小さい頃から動物が苦手で、そばに寄るのも怖くて。うちゅやみが足元を走るのが嫌で、おばばの家ではいつも椅子の上に足を上げていた。しかしべべはわたしがぎこちなく、おそるおそる手を伸ばしても嫌がりもせず、素直に撫でられた。わたしは生まれて初めて猫に触った。それがべべだった。

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それからというもの、わたしはべべと急接近。もう恐れることはなく、べべに触れられるようになった。

 べべはいつも夜になると「あなたはお外のにゃんこなの」と外に追い出された。おばばはせっかちな性格で、べべと眠れるほどおおらかではなかった。二階のうちゅやみ部屋に入れるわけにもいかず、べべは毎晩外で眠っていた。

べべが家の中で眠れるのは、ねぇねぇがお泊まりに来た時だけである。わたしは二階の一室に布団を敷いてもらって、その部屋でべべといっしょに二度ほど眠ったことがある。

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これは私のおなかの上で丸まって眠るべべ。べべは時折り目を覚ましては、わたしの顔を覗き込みに来た。わたしはべべに子守唄を歌って寝かしつけた。朝方になるともふもふが首元にいた。べべはわたしにべったりとくっついて眠っていた。

 べべにメロメロだったわたし。うつ病で引きこもりがちだったけれどべべに会いたくて、おばばの家には出かけて行った。おばばの家を訪れると、おばばは冷蔵庫からカニカマを出してきた。カニカマを割いて、このようにして口元へ持っていくとべべは器用に、そしておいしそうにカニカマを食べた。べべはカニカマとパンが好きだった。

 わたしたちが食事を始めると、べべも食卓にやってきて食事に参加しようとしていた。

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これは食事中に膝の上になってきたべべである。わたしは左手でべべを撫でながら、右手では箸を持ちこの日は麺を啜っていた。

食事が終わると我々はコーヒーが入るまでしばしくつろぎタイムに入る。そこにもべべはやって来た。べべは、とにかくよく眠る猫だった。

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これは母の足の隙間で眠るべべ。よく人の足の隙間に収まっては眠っていた。

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これはわたしの胸の上で眠るべべ。その辺で寝ていたので抱き上げて胸の上に連れてきたら、満更でもなくそのまま眠り続けた。

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これは弟のケツの下に入り込み、弟に撫でられうっとりなべべ。べべはなでなでが大好きだった。特に、頭のてっぺんが好きで「ここをなでて!」と言わんばかりに、わたしの手のひらにぐいぐいと頭のてっぺんを押し付けて、なでなでをおねだりしていた。撫でるとべべはまた目を細めて喜び、そのうちにうとうとと眠りについてしまう。そんなべべがおかしくてわたしたちはクスクス笑いながら、添い寝した。

 

 これが、わたしたちが見た最後のべべの姿である。

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 あろうことか、わたしはこの日一枚もべべの写真を撮らなかった。これらは弟が撮影した写真である。まさかこの日がべべとの最後の日だったなんて、誰が思っただろう。

 その日もべべは眠るために外に出て、もう生きて戻らなかった。朝、近所のおばさまがおばばに「猫が轢かれて死んどるよ」と伝えにきた。この頃にはもう半野良猫になっていたうちゅやみのことが頭をよぎった祖母は——だってあんなに賢くてすばしっこいべべがまさか車に撥ねられるなんて誰も思わないだろう。おばばは「黒猫?!」と慌てて訊いた。「三毛猫やと思うけど」とおばさまは言った。この町内で三毛猫は、べべしかいなかった。

おばばはかけつけ、べべを抱き上げた。血がぼとぼとと落ちた。その身体にはまだぬくもりが残っていた。撥ねられてすぐだったのだ。

 

 夕方、わたしたちはべべの元へ行った。弟もわざわざ福岡市から帰ってきた。べべは玄関先でわたしたちを待っていた。傷ついた方を下に向けて寝かされているが、美人で綺麗だったべべの顔は左側が崩れていた。発見当初は目玉が飛び出ていたのを、おばばがぎゅっと中に収めたらしい。保冷剤で冷やされて待っていた身体を撫でた。残酷な程に冷たく、ガチガチに硬くなっていたがその手触りは、べべのやわらかい毛で間違いなかった。べーち、どうして。

母は「ありがとう、ありがとうね」と言ってべべを撫でた。弟も何を思っているのかわからなかったが、箱に納められたべべのことをじっと見ていた。のちに弟は「心に穴空いてる、悲しい🥺」とツイッターで語った。

 べべは、庭に埋めることになった。外ではべべを待つお友だちにゃんこの姿があり、余計に切なくなった。

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ほんとうはわたしも見届けたかったけれど、騒ぐと隣人がうるさいので、おばばとお向かいに住む野良猫保育園の園長先生(おばばに同じく、家の周辺に住み着く野良猫たちの世話をしているおじいさん)と二人でべべを運び出した。どさくさに紛れて弟だけ。それを最後まで見届けに行った。べべは庭の隅の花園に埋められた。先日、初盆を迎えたので手を合わせて。べべの墓参りをした。

 

 べべほど愛嬌があって、人に愛される猫は他にいないと思う。

最近はべべの亡霊が乗り移ったか、突然お尻トントン背中なでなでを要求してくるようになったヤミちゃんの相手をしたり、べべがいなくなったことで縄張りが広がり、おばばの家の庭にこれまた住み着いてしまったピースを撫でたりして仲良くしているけれど。それだけでは埋まらない何かがある。

またべべに会いたい。撫でたい。今でもべべのやわらかな感触を忘れることはできない。いっしょに眠りたい。こんなことなら、もっとお泊まりに行けばよかった。べべの生涯は、美人薄命。たったの1歳半ほどでその幕を閉じた。

甘えん坊でおばばが大好き。おばばの姿が見えなくなると気が狂ったように鳴いて、家の中も付いてまわった。おばばが二階のにゃんこ部屋に篭ってうちゅやみの世話をすると嫉妬して、拗ねて猫パンチをしたという。

べべにはボーイフレンドのゴロウがいて、サスケとも仲良しだった。ゴロウはいつもべべを家まで迎えに来た。

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しかし、べべはわたしたちがいると。わたしたちと遊んだりくつろいだり、甘える方が好きだったみたいで。たびたびゴロウに対して居留守をキメていた。そんなところもまたかわいかった。

 

 

 

 べーたん、大好きだよ。

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またいっしょにねんねしよう。またねぇねぇのお腹の上で眠ってほしいな。いまだにべーたんの後頭部の緩やかなカーブとやわらかな毛並みの感触が忘れられません。でも、日常はべべのいないものになってきています。べべが、べべのおうちにいた時の感覚はもう、思い出せません。べべはどんな風にあの家にいたんだろうか。

カニカマも。にぃにに譲らずいつもねぇねぇがべべにあげればよかった。たまにしか会いに来られないにぃにとも仲良くなって欲しくて、いつも譲っていたんだよね。

サスケがどこかにいっちゃったの。もうずうっと姿を見せてないから、心配だな。ゴロちゃんは元気にしているよ。宙タンとヤミちゃんも。いつもお母さんを心配させているけどマイペースに暮らしているみたい。

どうしてべーたんみたいな良い子が、痛い思いをしなきゃいけなかったんだろう。あのすばしっこくて賢いべべが車なんかに轢かれちゃったなんて信じられないし、いまだにまたどこかでふとべべがわたしたちの前に姿を表すんじゃないかと考えてしまいます。

一度、ねぇねぇはべーたんに会いに行こうとしたことがありました。でも無理だった。べーたんに守られたんでしょうか。でもわたしは会いたかったな。近いうちか、それともまだしばらく先かわからないけれど。では、また。また遊ぼうね。大好きだよ。

 

 

 

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べべ吸い、しとけばよかった。

 

 

 

 

【ネタバレ含】君たちはどう生きるか、を見た。

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 ブーちゃんず、みんなでぞろぞろ映画館に行って参りました。

本当は公開初日に行きたかったけど、諸用があって行けなかったので。公開から翌日の朝一番の回を予約して見に行きました。「ジブリの新作やるんだよ」とそそのかしたら簡単について来た母親と共に。

 

 

 

 ここから先はネタバレを含むので映画を未視聴の者はあまり読まないように。

 

 

 まず見終わって最初に出た感想、「駿は何が言いたかったのだ?」

フライヤーのアオサギ人間と『活劇冒険ファンタジー』ということしか知らずに見に行った。そのタイトルからてっきりまた駿に「生きろ!!!!!」って言われるものだと思っていたが違った。

 

 まず、あのフライヤーを見て皆が予測してたように妖艶な姿をしてはいなかった。あのアオサギは。中には鼻がぶつぶつのぶくぶくの気色の悪いおじさんが入っている。

 

 時代は戦時中から始まる。ストーリー全体を見た感じとして、なぜこの時代背景に設定したのかまことに謎である。ということを母親に話したら、「駿の時代なんじゃないの?」と言った。そうか。戦争をまだ知っているお年頃。描きたかった時代なのかもしれない。もっと戦争モノなのかと、少し期待して見てしまったところがある。わたしも確かに思ったよ、『火垂るの墓』始まったのかな、って。

とはいえ、主人公の眞人は戦争の最中に火事で母親を亡くしてしまった。東京を離れ、父親と共に新しい母親の豪華な屋敷で暮らすことになった。新しい母親、夏子のお腹の中には新しい命があって、もちろん夏子はその誕生を楽しみにしているのだけれど、眞人は複雑な思いだったと思う。夏子が眞人の手を取って自分の腹を触らせた時、えも言われぬ、ギョッとした顔をしていたから。そしてことあるごとに眞人は夏子のことを継母ではなく「お父さんの好きな人」と説明し距離を一定に保っていた。

 

 石で自分の頭を殴る眞人を見て、先日発狂して頭を殴りまくった自分と重ねてしまった。彼は現実に、どうしようもない気持ちを抱えて、それを自分の側頭部にぶつけたのだと思った。いやいや、石で頭を打っただけではそうはならんだろ、というくらいのたくさんの血が出て、屋敷に帰るとばあやたちに甲斐甲斐しく世話をされた。このばあやたちとの関わり、もう少し見たかったかも。なにせたくさんいたからね。もう少し一人ひとり、見たかったかなぁ。

 奇妙な塔の中に入ってしまってからは、少しハウルっぽさを感じた。世界観がね。ヒミの家の中とか。ハウルの城の内装を彷彿とさせた。

 

 謎なのが、なぜ夏子は森の中へ、塔の中へ消えたのか。そして何故、帰ることを拒み部屋に篭ってしまったのか。ということである。特に説明がなかったように思える。夏子が拒まなければもっと楽に戻って来れたはずである。

そして何故アオサギは眞人を誘うのか。本当の母親は死んでいない、という言葉で眞人の興味を惹き、誘い出すのだが、それは、一体何故なのか。よくわからない。眞人があの世界に呼ばれたのは、たぶん、大叔父が呼び寄せたのだろうけど、大叔父とアオサギが組んでいたわけでもあるまいし。

ヒミが久子であるということは、夏子を「妹ね」と話したことと、過去に久子が神隠しにあったという説明のシーンの、少女時代のシルエットですぐにわかった。出会った時はそのようなことは言っていなかったのに(しかも自分はもう死んでいると自認していた)、どこの段階で眞人が自分の未来の息子だと分かったんだろうか。

 

 見ている間はすごく面白くて、見入ったさ。でも終わってみたら、一体何が言いたかったのか。さっぱりわからなかった。見直してもこれは分かるまい。

 

 客席は異常に静まり返っていて誰も物音一つ立たなかった。エンドロールでも立ち上がる者はおらず、観客は誰も何も言わずに静かに劇場を去っていった。喋っていたのはわたしの母親だけである。「え、アオサギって菅田やったん?」わたしは信じないぞ。あのおじさん声が菅田将暉だったなんて。

 

 ま、結果として眞人は「あまり好きじゃない」と語った現世に戻り、自分の新たな環境を受け入れ(夏子母さんと呼ぶようになった)、母親の死(ヒミとの別れ)も受け入れて。生きて行くために回路の扉を開いて元の世界へ。夏子とそれからキリコと共に帰って行った。

君たちはどう生きるか。眞人は、現実を受け止めて、生きていくことにしたのであった。

 

 

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忘れもしない6月25日

元首相が亡くなった。とてもショッキングな事件だった。政治のことなんて何も知らないけど、それでもショックだった。

 

テレビでは、銃撃されたというニュースが速報でやっていた。まだ午後一時過ぎだった。

心肺停止だと報道されていた。

 

思い起こしたのはあの小学六年生の6月25日のことである。

朝起きたら、ニュースにデカデカと報道されていたのが、『マイケル・ジャクソンさん 心肺停止』という情報であった。

わたしはマイケルがそこそこに好きだった。英才教育を受けてきた。わたしの父方の祖母の妹はマイケルオタクで、リビングには色褪せたポスターが貼ってあったし、ダイアナ・ロスがドロシー役を、マイケルがカカシ役をやっているオズの魔法使い『ウィズ』のDVDを貸してくれたり。

自身もマイケルに負けない真っ黒い髪をソバージュにしていたりして。わたしの、フレディ・マーキュリーを真似したぱっつん前髪みたいだ。

そんな大叔母の影響で、わたしもマイケルが好きだったんだ。

 

わたしはマイケルのニュースを見ながら朝食を食べて歯を磨いて着替えをして。朝の支度をした。マイケル・ジャクソンがたいへんだ。

嘘みたいな日だな、と思いながら学校に行った。

マイケルのことももちろんなのだが、この日はなんとわたしはサーカスを見に行く予定だったのである。

父が仕事がお休みで。地元にサーカス団が来ていたね。弟と二人して小学校を早退してサーカスに行ったんだ。

クラスの友だちには「親戚の赤ちゃんが生まれそうだから」(実際、はとこの誕生日が2009年6月25日あたりだった)とごもっともそうな嘘をついて早退けした。

サーカスをひとしきり楽しんで帰ってきたら、マイケルは死んでた。あのマイケル・ジャクソンが死ぬなんて。

生きてたんだなあ、マイケルって。

マイケルが生きてるうちにもっとマイケルの生にありがたみを感じながら生きればよかった。しかしあの時のわたしはまだクイーンフリークも二年目。まだ幼かったし、まだ洋楽を耳で聴いて、目でビジュアルを追うことしかできなかった時分だった。

 

今日も元首相の容態が気になりつつ仕事に出かけた。家に帰り着いたら、ちょうど速報で死亡確認が発表された。マイケル現象だと思った。

 

わたしの最近のお気に入りマイケルは『P.Y.T.(Pretty Young Thing)』

プリティー・ヤング・シングと呼んでもらえる間に聴きこまなくては。

マイケル好きな大叔母と会うために走る車の中で延々とマイケルを聴いていたんだよ。マイケル好きな大叔母の兄貴、つまりわたしにとって祖母の弟、大叔父の通夜のために、福岡市まで行かなきゃならなかったんだ。

 

今年の初盆のお供に。

 

 

 

 

 

アンダー・プレッシャーの答え合わせ

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戦艦ポチョムキンを見た。

 

初めて無声映画というものを見た。

ずっと気になってはいた。けど手をつけずにいた。

わたしの背中を押したのは、フランシス・ベーコンの画集に『戦艦ポチョムキン』というワードが出てきたから。

ベーコンの絵には、口を大きく開けている人物画がたくさんある。戦艦ポチョムキンの『オデッサの階段』と呼ばれる章の、銃撃されて左目が血まみれになって叫ぶ眼鏡の女性がモチーフなのがよくわかった。ズレた眼鏡まで再現して描かれているしね。

 

フランシス・ベーコンに興味を持ったのは、デヴィッド・リンチからだな。ベーコンとエドワード・ホッパーに影響を受けておられるらしい。『イレイザー・ヘッド』を見た時からファンなんだ。ベーコンもリンチも、下の歯がはっきり見える程大きく口を開けて、人間が叫ぶ様を画に捉えることで「強烈な不安感」を表現しているように思う。

ストーリーに追いつけなくて『ツイン・ビークス』は見れてないんだけどさ。赤い部屋、すごく良いよね。

 

 

戦艦ポチョムキン』の存在を知ったのはもっぱらクイーンの『アンダー・プレッシャー』という楽曲からだった。

小学生の頃、この曲のMVをDVDで見ていた時、恐怖を覚えたのが、上の恐怖に満ちた表情で叫ぶ女性の顔である。戦艦ポチョムキンが引用されていたのはこの女性開けた口をほんの少し閉じる間の一瞬だけなのだけれど。わたしはこの女性の顔を見るたびに不安とそこはかとない程度の恐怖を感じていた。これは、きっと古いホラー映画のワンシーンなんだと思っていた。

というのも、この『アンダー・プレッシャー』のMVにはドラキュラなのかフランケンなのかわからんような背丈の高い人物がゆらりと映っていたり、川を流されパニックな人の様子が引用されていたりして。そんな感じでスリルある映画のシーンを引用しているのかと思ったのだ。

実際に『戦艦ポチョムキン』を見て。たしかにこの例のシーンもある種の「スリル」と言えばそこまでなのだけれど。もっともっと生々しいものであった。

この女性は庇っていたのだ。乳母車に赤ん坊が乗っている。しかし目の前からコサック隊が銃を手に整列して一歩一歩と攻めてくる。

オデッサの階段ロシア帝国軍の襲来と、銃撃とで大パニック。段差により先に進めなくなった乳母車の母は背に乳母車を隠して我が子を庇うのである。それも虚しく、母は倒れ、子も、階段を猛スピードで下っていく……というより、落ちていくあのシーンは確かに実に印象的であった。

 

けれども!同志たちよ。

わたしが一番おぞましかったのはやはり中にウジ虫が湧いてひしめきあっていたあのシーンであろう。

そして戦艦内での反乱の暴力シーンに、わたし自身の具合が悪かったのか。胸が苦しくなってしまった。

 

そうして、ブタをもっと丁寧に扱いなさいね。耳から握らないで!

食べるにしても。

 

 

 

『アンダー・プレッシャー』のMVはとても良くて。クイーンには珍しく演奏シーンが一切ない映像構成なのだけれど。

わたしは車がごうごうと燃えていたり、ビルが爆発して解体されていく映像が好き。

ということに思いを馳せていたら、そういえば。『T2 トレインスポッティング』のエンディング映像も。ビルが崩れ落ちていく映像だったわね、ということを思い出したのである。レディオ・ググ。

 

 

 

 

 

 

見ていた人の数だけ真相がある。

アンディ・ウォーホル・ダイアリーズというドキュメンタリーをNetflixで見ていたら出てきた言葉。

ケネディ暗殺みたいにね。見ていた人の数だけ真相があるんだ。って話。

 

小学四年生くらいの頃から。わたしは"図書室にで本を借りる授業"では、いつも漫画の伝記を借りていた。アニオタになってラノベを読み出すまでは。

何故この漫画の伝記に執着してたかというと、活字の読めない子どもだったから。

他の大人びたお友だちはハリー・ポッターとか読んでた時期に、わたしは漫画の伝記を読んでた。

みんなも結構読んでて、人気コンテンツだったんだよね。漫画伝記に群がってるのはわたしと同じ活字アレルギーそうなアホの生徒ばっかりだった。

その本のラインナップの中に、ジョン・F・ケネディの伝記もあったんだな。

彼の生い立ちがどんな風だったか覚えてない。なんならクライマックスしか読んでないんじゃないか。

彼の身体のどの部分が銃弾で貫かれたか、図解がしてあった。それを見たのを覚えたし、衝撃だった。暗殺っていうのが。小学生のわたしにはすごくドラマチックで劇的な死。悲劇に思えたんだな。ジョン・レノンの死も同様に(これは活字の方の伝記で死の記述だけ読みました。わたしはこの時期からもうすでにクイーンオタクだったので)。

 

家に帰って、母にケネディの話をしたと思うんだよね。そしたら、母は昔、暗殺シーンをテレビで放送されているのを見た、と言っていた。母は夫人のことを「脳みそ拾ってた」とわたしに説明した。

わたしはパソコンからYouTubeにアクセスした時、ドキドキしながら『JFK』と検索した。そしたら、まさにその暗殺シーンの動画がヒットしたのだ。

わたしもたしかに、その悲劇の瞬間を見た。

ケネディが夫人にもたれ倒れ、次の瞬間、顔の破片が飛び散り。後部座席へ飛んだ。そして夫人はすぐに腰を上げて、その脳みその破片をかき集めるかのようにもがいた。わたしも、夫人が脳みそを拾ってるのを見た。

どんだけ愛の深い人なのだろうと思った。

脳みそを拾っても、ケネディは蘇生しないのに。破片を大切そうに迅速にかき集めているようにわたしには見えたのだ。

 

 

 

あれから15年ほどが経った今、半年くらい前にも。例の映像を見たんだな。なんでだったか、忘れたけど。

夫人ジャクリーンは、車の後部へと逃げている説、を見た。たしかに。そう言われてみるとあわあわと銃弾から逃げ、パニクってるようにも見えた。

「脳みそ拾ってないかも」とわたしは思った。

しかし母は未だにジャクリーンがケネディの脳みそ拾ったと思っているだろうし、冒頭の『見ていた人の数だけ真相がある』という言葉を借りるなら、あの場にいた人の中にもジャクリーンが脳みそを拾っている姿を認めた者もいただろうし、母のようにテレビの向こう側で見ていた者、わたしのようにパソコン越しに見ていた者にも脳みそを拾っているジャクリーンが脳裏に焼き付くんだよ。

 

 

 

ちなみにもうすぐケネディ大統領のお誕生日でありますね。

何故知ってるかって?

わたしも彼と同じ5月29日生まれだからだよ。