↑今日の瞑想で見えた光景。
今日の悲しみを忘れないために記録をしておきます。
祖母から、猫日記がLINEが届く。
祖母の家にいついている三毛猫のべーちゃん。
わたしは動物が怖くて触らなかったが、24歳にしてはじめてまともに動物を撫で、抱き、愛でる楽しさを知った。べーちゃんは人懐っこくて、人に撫でられるのが大好き。恐る恐るわたしが触っても怒ったり、嫌がったりしないで大人しく撫でさせ、気分が良くなると喉をゴロゴロと鳴らす。
先日、べーちゃんの家にお泊まりしてべーちゃんと二人きりで眠った。
べーちゃんは毛布のふわふわとした感触が好きで、わたしの毛布の上に丸まって眠っていた。首がモサモサするかと思えば、目を開けると甘えたべーちゃんが首元にまとわりついてチンチロの首巻きみたいになっていたこともあった。べーちゃんもすっかりわたしを"家によくいる人"と認識してしまったようで、連日玄関先に座ってわたしが家にやってくるのを、もしくは帰ってくるのを。待っていたらしかった。
今日もべーちゃんに会いに行こうかどうか迷ったけど、家を出るのがめんどくさくてぐだぐだしてる間に夕方になった。
祖母の家にお客さん、Kさんが来ていたらしい。これはいつものことだ。Kさんは中学生の孫娘ちゃんを連れてきたようだ。中学生とはいっても不登校らしく。何故学校に行っていないかというところまではわたしには知る由もないが、祖母曰く「お母さんが育児放棄してる」らしかった。つまりお客さんの娘さんのことだ。
この中学生のお孫ちゃんにはわたしの弟と同い年のお兄ちゃんがいて、彼は職場いじめを受け、一旦職場を休んでいたそう。彼もよく働き、きちんとしていると言って、いつも祖母が絶賛している。
そう言われるたびに胸が痛む。わたしは彼のように働きもせず、きちんともできない。比べられて、羨まれてるような気がするのだ。これは、事実だ。
わたしが料理などの家事ができない(やる気がないのでしない)んだけれども、それを非難しているのを聞いたことがある。最近では大晦日。あの日の祖母はあからさまにわたしに対してピリピリしていたし。リビングから離れた台所で、わたしの母に向かってブチブチ言っていたけど、祖母はいつも声がデカいので。耳に入ってしまった。いや、母の「一人になったらするよ」という返答がはっきり聞こえたことで、ああ、ほんとうにわたしのことを非難してるんだな、ということが分かった。
今日はわたしのいとしのべーちゃんを、Kさんとこの孫娘ちゃんが相当遊び相手になってくれたようだ。
あの遊びたい盛りのべーちゃんが遊びすぎでくたびれあがるほどに。
この報告を祖母からLINEで受けて、わたしは猛烈に孫娘ちゃんに嫉妬した。中学生の女の子相手に。
根気よくべーちゃんと関わってやってるのは、祖母を除けばわたしだけだと思ってた。べーを孫娘ちゃんに近づかないで、と思ってしまった。
わたしは泣いた。
べーにわたしは必要なかった。
べーは愛嬌を振り撒くのが上手いし、人見知りはしない。愛を与えてくれる人は、たくさんいる。
わたしの祖母はとても愛に溢れる人だ。きっと孫娘ちゃんのことを受け入れて、気さくにかわいがってやってる姿が目に浮かぶ。
かわいそうに。
わたしよりつらい境遇を生きているんだ。孫娘ちゃんは頑張ってるんだ。
わたしは?何も頑張ってない。
わたしは、猫からも、自分の祖母からも愛をもらえる資格はないんだ。
この悲しみに伴って、入院中の苦しみを思い出した。
誰にも、どこにも吐き出せる場所がなくて苦しくて仕方がなかったことだ。
わたしは自分の主治医が大好きだ。愛着対象みたいな、特別な執着がはたらいていると思う。
外来にいた時から、主治医がたびたび『女子高生の患者さん』の話をしていた。彼女はわたしより先に病棟に入った先輩らしい。その時は、なんとも思わずに聞いていたけど。入院して、主治医が病室に来て話をしてくれる。その時に、必ずそのJK患者の話題が上がる。若い患者がわたしとその子くらいだし、家庭環境とかちょっと被るところもあって、チラつくんだろう。看護師も混同してたし。
でもわたしは傷ついた。目の前には今、わたしがいるのに。先生は他の患者のことを考えている。心はここにはないんだ、と悲しくなった。つらかった。
病棟を移った時、隣のベッドが因縁のJK患者だった。まともに喋ったことはなかったけれど。初めて彼女を一眼見た時、「羨ましい」と思った。若くて可愛い看護師さんと和気あいあいに喋っていたから。病棟が変わると、以前の病室の看護師さんではなく総替え。はじめての看護師さん、はじめての患者さん、はじめての複数人部屋。そんな中、なんとなくモヤモヤを抱いていた、若く麗しきJKの患者さんを見て、苦しくなった。看護師さんとも患者さんとも、彼女はうまくやっていた。わたしは退院するまで孤立して、病室に引きこもっていたのに。彼女は就寝時以外はどこか(たぶんホール)に出かけていて、姿は見なかった。
医者にも泣きついた。JKちゃんの名前は挙げなかったけど、「他の患者さんはわたしより上手く生きている」って大泣きしたんだ。
退院してもJK患者さんの話題は度々上がる。そのたびにわたしは苦しくなるし、医者との距離感を感じたりすると彼女の顔がチラついて仕方がない。
彼女はわたしよりも若い、幼いから。わたしよりも丁重に扱ってあるであろう。そりゃそう、5歳児と0歳児では抱き方も寝かしつけ方も違ってくる。
患者さんからも、看護師さんからも愛されていた。先生も彼女を愛している。わたしより、大切な患者さんに決まっている。
この事実、真理、あるいは妄想を感じるたびにわたしは死にたくなる。
明日は早起きして、先生に会いに行こうかな。
その帰り道で、首を吊ってこようか。
杏部屋親方先生の次回作にご期待ください。