ジギー・ポップは死んだ

もう死んだ人よ

張り紙だらけの部屋

 

わたしの家、張り紙だらけになっている。

 

リビングのドアには「目が覚めるので静かに」。

冷蔵庫のホワイトボードには「トイレのあと手洗い」。

そして今日増えていたのが、トイレのドアと玄関のドアに「明日 車使います」

 

 

 

だから、わたしのコミュニケーション能力は育たなかったのかな、と思う。

言葉にして伝えるのが最適な連絡ツールだとしても。誰も何も、素直に言わないお家で育ったから。

 

だから今のわたしは 伝えたいけど

これタイミングが悪いな……とか。別にこんなこと言うまでもないな……って。尻込みをしてしまうのかな。

全部言葉をしまっちゃうから、言えなかった言葉が身体に悪さをするんでしょうか。

 

 

 

 

 

ロボット

 診察室でね、医者が「それはどんな話だった?」と尋ねて来た。日頃どのように過ごしているのかと問われて先週に引き続き「サウスパークを見ています」と答えた。先週の時点で分かったことだが、わたしの先生もサウスパークを何年も前だが視聴なさったことがあったそう。

わたしがこのところサウスパークを好んで見るのは、何も考えなくても頭におもしろが入ってくるからである。差別、風刺、下品さ。かなり痛烈で刺激物。今の、なんだか感受性が揺れ動かないわたしにはとてもこのわかりやすくおもしろい楽しいのが娯楽的で良い。

 

 今週見たサウスパークの中で一番印象に残ったエピソード。きっと今週もそのあらすじを話すように言われるよ、と思ってちょっとイメージ。シミュレーションしてた。

わたしはサウスパークシーズン15のエピソード8、『Ass Burgers(ケツバーガー)』のことを話した。

一言で表せば「スタンがうつ病のようになってしまう話」

発端は割愛するが両親が離婚することになり。そのストレスが原因か。スタンはこの世の物事をクソみたいに感じるようになった。「クソみたい」というのはスタンから見るとマジのクソ。画面上は便が飛び交うというかなり汚いものだった。

でもこの描写がなんとも、自分の今の調子に合致しているような気がしたのだ。

 

 友だちみんなが楽しんだ映画。しかしサタンにとってはクソ。スクリーンはクソまみれ。

そしてそれについて、スタンはうんざりだということを言葉で表現していた。が、友だちとして一緒にいる仲間たちはスタンの言動で盛り下がってしまっている。そこで友人グループの中でも特にスタンの親友であるカイルが、スタンに話をする。でも、スタンはカイルの言葉はまるでクソのように聞こえ、喋るために開いた方から出てくるのは……。そして、よもや左端には目の前にいるスタンそのものまでがもう、大きな茶色い塊になっていた。

 

 ……わたしはさすがに相手を文字通りの"クソ"のようだとは流石に感じないけど。相手の言っている言葉が、相手が。なんだかな、と思ったりすることがある。

親しいお友だちが遊ぼう、といって声をかけてくれるのも、家族が明るく他愛もないことを話してくれることも。

何もそこに楽しみや喜びを感じられないのだ。

すまないが、今のわたしには非常に煩わしくて、それに対してコミュニケーションを返すことが億劫である。対処することが面倒だから、すべてにうんざりするんだ。誰も悪くないのに。

わたしゃホールデンか。

 

 人をクソだと感じ取るスタンに共感したんだね。

それは、周りがロボットみたい、ってことかな?と医者に問われた。

わたしは「どちらかというと逆だと思います。自分がロボットみたいな……」とモチャモチャマゴマゴと答えた。

 

 何もいいと思えない。

この世の全てがどうでもいい。

 

多分今他の人から見たらわたし、綾波レイです。