ジギー・ポップは死んだ

もう死んだ人よ

やれやれ、今日は1月29日だ。

 祖母からのLINEが入る。東京行きに、妹にアクセサリーを買ったという。それを届けにいくという連絡だった。わたしは今年の二月中旬、東京に行く。

「はい。受け取りに行きます」

 てっきり、マンションの下までやってきて、わたしを呼び出す魂胆かと思い、わたしは靴を履いた。ノーブラに上はもこもこのパジャマ。下には仕事用のジーンズを履き、上着のボタンをしっかりと閉めた。これがうつ病ファッション。わたしはこれから、薬局に出かけるのだ。褒められたことではない。薬局を三件回って、好みの薬をかき集めるつもりだ。

 靴を履いていると、ポストからがさごそと音がした。祖母が外から荷物をポストに押し込んだのだ。わたしは扉を開けた。もう祖母はわたしの家の前を過ぎ去っていたが、わたしが扉を開けたことに気がついて踵を返して戻ってきた。

「なんね、ずーちゃん。出かけるんね」

 カバンを下げたわたしを見て祖母は言った。

「うん、ちょっとTSUTAYAまで」

「送って行こうか」

「うん」

 祖母は、マンションの下に車を停めっぱなしにしてきたといって慌ててエレベーターへ向かっていった。一緒にエレベーターに乗り、祖母はすたすたと歩いて車に向かってしまう。わたしは立ち止まってカバンの中を漁った。トニンの箱とブロンの瓶を、マンションのエントランス横のゴミ箱に捨てた。親に見つかるのが嫌で、わたしはこっそりゴミを外に持ち出してわざわざ捨てなければならない。祖母はわたしが立ち止まったことに気づいたか、それとも気づかなかったか。わたしのことなど気にせず、停めっぱなしの車に向かっていった。

 派手な黄色い車。もう十年以上これに乗り続けている。わたしはいつも祖母の車に乗るときのように後部座席に乗ろうとしたけど荷物が乗ってあり、「今日は横に乗って」と言われた。

「いやぁ、今日はおばばも暇しとってね、ずーちゃんに連絡しようかと思ったったんよ」

「今日月曜日やもんねぇ。月曜じゃなかったら、美術館のレストランに行きたかった」

「そうなんよ、おばばが暇な日はいっつも月曜日なんよ」

 美術館の丘に立ち、自然を眺めて、そこの空気を語る動画を祖母がたまに送ってくる。たいてい、月曜日だ。月曜日は市立美術館は休館日なのだ。

「美術館の丘でお弁当でも食べない?」

「えー、パジャマで来ちゃった。今日はいいや。美術館の空いてる日にまた行きましょ」

 スッピンにマスク。コートの下はノーブラ。とても外を出歩いていい格好はしていない。どうせ美術館のあの小高い、自然の豊かな丘に行くなら、こんな陰気なファッションじゃなくて、もっと美術館の森に溶け込むような服を着て出かけたかった。

そうこう話しているうちに、車はTSUTAYA付近に着いた。わたしの自宅からTSUTAYAまでは近いのだ。

「終わったらお迎えにこようか?」

「いや、いいよ。TSUTAYAだし。すぐそこだし。歩いて帰る」

 だって、ほんとうはTSUTAYAじゃなくて薬局に寄りたいんだもん。

「ではね」わたしは車を降りて、派手な黄色い車が走り去っていくのを見送った。(最近そうなった)歩車分離信号を渡り、そのまま薬局に直行しようかと思ったが。せっかくなのでTSUTAYAに寄ってアリバイを作ることにした。

近所のTSUTAYAは、年々売り場面積が少なくなってきた。まずは本のフロアに文房具コーナーが増え、雑貨コーナーが増え、その後にカフェが併設され、終いにはカフェの面積が増えた。本の売り場面積はどんどん縮小され、小説コーナーも移転していて少々迷った。やれやれ、わたしはようやく国内小説コーナーに辿り着き、最近なんとなく読みたくなった村上春樹を探す。村上龍でもいいな、と思ったけど。この店には『限りなく透明に近いブルー』しか置いてなかった。これは大学生くらいの時に読んだ。もう内容は何も覚えちゃいないけど。恋人が読んで、こいつ(村上春樹)はダメだと失望したという『海辺のカフカ』を手に取ってみる。ちょっとファンタジーなのかもしれないな、わたしはファンタジーはあまり得意ではないんだよな。と思いとどまる。第一、ここで小説を買ったところで読み終えられる保証はない。わたしはもう一年も重松清の『疾走』の上巻を読んでいる。読み終わる気配がない。『海辺のカフカ』も上下巻に分かれていて、読み終わるまでに途方もなさそうだった。村上春樹の短編は苦手だということを、この間の入院中『一人称単数』を読んで知った。どれもこれも何が言いたいのかさっぱりわからない短編が散りばめられた本だった。射精がしたいだけじゃあないか!一冊で完結していて、短編ではなくて、適度に読み応えがありそうな薄くも分厚くもない本。そこで手に取ったのが『スプートニクの恋人』だった。開いた瞬間、今日はこれだ!と思った。主人公の名前が、今日誕生日を迎えた幼なじみの名前と一緒だ。今日買うなら、これがいい。

 

 わたしは『スプートニクの恋人』とトニン2本、ブロン一瓶と、葉が白くなるとネットで見かけた歯磨き粉をエコバッグに詰め込んで、コートの中のもこもこのパジャマが汗ばむ中、日光を浴びながら歩いて、帰路についた。

 

 

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