ジギー・ポップは死んだ

もう死んだ人よ

24歳にもなって職場についてくる親

 

先日めでたく退院を迎えまして、これからの働き方について考えるところがございましたので、職場へご相談しときたいな、と思ったのです。でも、そんなこと園長と電話ででもいくらでもできるわけです。

しかしながら、この男がなぜか黙っちゃいないんですね。わたしの父です。

 

なんか、今回の入院から特に父はわたしの病気に熱心で、病院へ物品を届けに来てくれたり家族面談の予約をとって主治医と話をしてくれたり、YouTube精神科医の動画見たりして……なんか突然前のめりになっている。どうした。

 

で、父はわたしの仕事にも謎の干渉をしてきたんけですね。

ちなみにわたしの母も干渉型ですし、なんならおばあちゃんまで職場に乗り込んできて「先生たちに差し入れ」ってお菓子置いていったり家族総出でわたしの職場にたびたび来襲するんです。

副主任のパパがよく園に電話かけてくるのは知ってるけど、家族が直々に園に来てる職員、見たことがねえ。

園長にアポとる時、電話で説明するのも面倒くさかったよ。なんて伝えたらいいかわからないもん。もう完全に「パパが遊びに行きたがっています」以外の説明がわからない。「うちのヨセフを連れて行きます」と言った。以前、母が園に来た時に「お母さんがマリアなら、杏部屋先生はイエスさまね」って言われたりしたからね。いやいや、マリアの背後にいる子息こそメシアだ。頭の要領的にもね。

父がご挨拶したいらしい、相談も兼ねて、お会いしていただけませんかと頼み込んだ。園長先生ってもんはほんとうに多忙なのに、わたしとその父のためにお時間頂戴しますなんて言ってられねぇよ。

 

 

で、当日父を連れて職場へ行ったんだけれども、父が永遠にひとりで喋ってるんだよね。

キャッチボールじゃない、ずっと父が自分が言いたいことを喋ってる。

娘の状態があまり変わらず悪いこと、しばらく働けてないのが申し訳ないこと、可能なら長い目で見ていただいて復職を待ってほしいこと、家では仕事に対する意欲は見せているが気持ちに身体がついていかないこと……。

これをね、ふつうの人々なら言葉のキャッチボールをするでしょ、相手の相槌を待ったりね。

しかし父はずっと、マシンガンというほど饒舌でも言葉がうまいわけでも早口でもないんだけど、壁に向かって話してんのかお前、というくらい一方的にトークをしていた。

父は年齢相応の役職を職場で任されてるときく。取引先に謝りに行かなければ、というような言葉もよく聞くし、たぶんちょっと自分のこと謝罪のプロだと思ってるよね。

でもなんだかね、これじゃあちょっと何かズレてると思ったんだ。

わたしの父親には、傾聴力がないんだ。

 

止まらぬ父の横でうんうん、と頷いて父の言葉に同意したり、いやはやと適度にツッコミを入れつつ。

わたしはずっと園長先生が圧倒なされてないか気になっていた。杏部屋先生のパパって、あなたに似らずによく喋るのね、なんて思われたくない。なんでアポとっといて、相手の話のペースもみないでひとりでガンガンに話せちゃうんだろう。ずっと父がわたしの横で空回りしているみたいで、恥ずかしかった。

 

ひとしきりたちが話し終わったら、次は園長のターン、という感じで園長先生がご丁寧に言葉を紡いだ。今退職、というのもアリだがいつでも戻って来られるようにする、首を切るようなつもりは毛頭ないよ、ということをやさしく丁寧に教えてくれた。子どもが好きだ、というわたしの気持ちが勿体無いと言ってくれた。

園長の器のデカさをわたしは実感した。

これまで幾多の『保護者』と話してきたことだろう。やはり保育者をやるってことは、傾聴力がないとできないもんなんだよ。子どもに対してもそうだし、大人に対してもそうだ。うちの父親よりぶっ飛んだこと言うマシンガン保護者だって相手にしてきたはずだ。たくさん、保護者対応に疲弊して今日ここに座られているのだろう。己の屍を何体超えたらここまで空回りしている父親を包み込んで、いつもの園長のペースで喋れるんだよ。まったくね。

 

父はこの時のことを、母方の祖母に対して「ちゃんと大人の話してる娘が気味悪かった」とわたしを皮肉りながらも褒めてくれたが、わたしは冷や汗が出る思いだったよ。

パパ、それで謝りのプロだとおごっちゃあダメだ。

パパは人のおしゃべりをうんうん、とよく聞いて「そうだね」って共感してあげる力を持たなきゃね。

保育者として、営業所の所長を務める父親には思うところがあったのであった。