ジギー・ポップは死んだ

もう死んだ人よ

アンダー・プレッシャーの答え合わせ

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戦艦ポチョムキンを見た。

 

初めて無声映画というものを見た。

ずっと気になってはいた。けど手をつけずにいた。

わたしの背中を押したのは、フランシス・ベーコンの画集に『戦艦ポチョムキン』というワードが出てきたから。

ベーコンの絵には、口を大きく開けている人物画がたくさんある。戦艦ポチョムキンの『オデッサの階段』と呼ばれる章の、銃撃されて左目が血まみれになって叫ぶ眼鏡の女性がモチーフなのがよくわかった。ズレた眼鏡まで再現して描かれているしね。

 

フランシス・ベーコンに興味を持ったのは、デヴィッド・リンチからだな。ベーコンとエドワード・ホッパーに影響を受けておられるらしい。『イレイザー・ヘッド』を見た時からファンなんだ。ベーコンもリンチも、下の歯がはっきり見える程大きく口を開けて、人間が叫ぶ様を画に捉えることで「強烈な不安感」を表現しているように思う。

ストーリーに追いつけなくて『ツイン・ビークス』は見れてないんだけどさ。赤い部屋、すごく良いよね。

 

 

戦艦ポチョムキン』の存在を知ったのはもっぱらクイーンの『アンダー・プレッシャー』という楽曲からだった。

小学生の頃、この曲のMVをDVDで見ていた時、恐怖を覚えたのが、上の恐怖に満ちた表情で叫ぶ女性の顔である。戦艦ポチョムキンが引用されていたのはこの女性開けた口をほんの少し閉じる間の一瞬だけなのだけれど。わたしはこの女性の顔を見るたびに不安とそこはかとない程度の恐怖を感じていた。これは、きっと古いホラー映画のワンシーンなんだと思っていた。

というのも、この『アンダー・プレッシャー』のMVにはドラキュラなのかフランケンなのかわからんような背丈の高い人物がゆらりと映っていたり、川を流されパニックな人の様子が引用されていたりして。そんな感じでスリルある映画のシーンを引用しているのかと思ったのだ。

実際に『戦艦ポチョムキン』を見て。たしかにこの例のシーンもある種の「スリル」と言えばそこまでなのだけれど。もっともっと生々しいものであった。

この女性は庇っていたのだ。乳母車に赤ん坊が乗っている。しかし目の前からコサック隊が銃を手に整列して一歩一歩と攻めてくる。

オデッサの階段ロシア帝国軍の襲来と、銃撃とで大パニック。段差により先に進めなくなった乳母車の母は背に乳母車を隠して我が子を庇うのである。それも虚しく、母は倒れ、子も、階段を猛スピードで下っていく……というより、落ちていくあのシーンは確かに実に印象的であった。

 

けれども!同志たちよ。

わたしが一番おぞましかったのはやはり中にウジ虫が湧いてひしめきあっていたあのシーンであろう。

そして戦艦内での反乱の暴力シーンに、わたし自身の具合が悪かったのか。胸が苦しくなってしまった。

 

そうして、ブタをもっと丁寧に扱いなさいね。耳から握らないで!

食べるにしても。

 

 

 

『アンダー・プレッシャー』のMVはとても良くて。クイーンには珍しく演奏シーンが一切ない映像構成なのだけれど。

わたしは車がごうごうと燃えていたり、ビルが爆発して解体されていく映像が好き。

ということに思いを馳せていたら、そういえば。『T2 トレインスポッティング』のエンディング映像も。ビルが崩れ落ちていく映像だったわね、ということを思い出したのである。レディオ・ググ。

 

 

 

 

 

 

見ていた人の数だけ真相がある。

アンディ・ウォーホル・ダイアリーズというドキュメンタリーをNetflixで見ていたら出てきた言葉。

ケネディ暗殺みたいにね。見ていた人の数だけ真相があるんだ。って話。

 

小学四年生くらいの頃から。わたしは"図書室にで本を借りる授業"では、いつも漫画の伝記を借りていた。アニオタになってラノベを読み出すまでは。

何故この漫画の伝記に執着してたかというと、活字の読めない子どもだったから。

他の大人びたお友だちはハリー・ポッターとか読んでた時期に、わたしは漫画の伝記を読んでた。

みんなも結構読んでて、人気コンテンツだったんだよね。漫画伝記に群がってるのはわたしと同じ活字アレルギーそうなアホの生徒ばっかりだった。

その本のラインナップの中に、ジョン・F・ケネディの伝記もあったんだな。

彼の生い立ちがどんな風だったか覚えてない。なんならクライマックスしか読んでないんじゃないか。

彼の身体のどの部分が銃弾で貫かれたか、図解がしてあった。それを見たのを覚えたし、衝撃だった。暗殺っていうのが。小学生のわたしにはすごくドラマチックで劇的な死。悲劇に思えたんだな。ジョン・レノンの死も同様に(これは活字の方の伝記で死の記述だけ読みました。わたしはこの時期からもうすでにクイーンオタクだったので)。

 

家に帰って、母にケネディの話をしたと思うんだよね。そしたら、母は昔、暗殺シーンをテレビで放送されているのを見た、と言っていた。母は夫人のことを「脳みそ拾ってた」とわたしに説明した。

わたしはパソコンからYouTubeにアクセスした時、ドキドキしながら『JFK』と検索した。そしたら、まさにその暗殺シーンの動画がヒットしたのだ。

わたしもたしかに、その悲劇の瞬間を見た。

ケネディが夫人にもたれ倒れ、次の瞬間、顔の破片が飛び散り。後部座席へ飛んだ。そして夫人はすぐに腰を上げて、その脳みその破片をかき集めるかのようにもがいた。わたしも、夫人が脳みそを拾ってるのを見た。

どんだけ愛の深い人なのだろうと思った。

脳みそを拾っても、ケネディは蘇生しないのに。破片を大切そうに迅速にかき集めているようにわたしには見えたのだ。

 

 

 

あれから15年ほどが経った今、半年くらい前にも。例の映像を見たんだな。なんでだったか、忘れたけど。

夫人ジャクリーンは、車の後部へと逃げている説、を見た。たしかに。そう言われてみるとあわあわと銃弾から逃げ、パニクってるようにも見えた。

「脳みそ拾ってないかも」とわたしは思った。

しかし母は未だにジャクリーンがケネディの脳みそ拾ったと思っているだろうし、冒頭の『見ていた人の数だけ真相がある』という言葉を借りるなら、あの場にいた人の中にもジャクリーンが脳みそを拾っている姿を認めた者もいただろうし、母のようにテレビの向こう側で見ていた者、わたしのようにパソコン越しに見ていた者にも脳みそを拾っているジャクリーンが脳裏に焼き付くんだよ。

 

 

 

ちなみにもうすぐケネディ大統領のお誕生日でありますね。

何故知ってるかって?

わたしも彼と同じ5月29日生まれだからだよ。

 

 

 

 

24歳にもなって職場についてくる親

 

先日めでたく退院を迎えまして、これからの働き方について考えるところがございましたので、職場へご相談しときたいな、と思ったのです。でも、そんなこと園長と電話ででもいくらでもできるわけです。

しかしながら、この男がなぜか黙っちゃいないんですね。わたしの父です。

 

なんか、今回の入院から特に父はわたしの病気に熱心で、病院へ物品を届けに来てくれたり家族面談の予約をとって主治医と話をしてくれたり、YouTube精神科医の動画見たりして……なんか突然前のめりになっている。どうした。

 

で、父はわたしの仕事にも謎の干渉をしてきたんけですね。

ちなみにわたしの母も干渉型ですし、なんならおばあちゃんまで職場に乗り込んできて「先生たちに差し入れ」ってお菓子置いていったり家族総出でわたしの職場にたびたび来襲するんです。

副主任のパパがよく園に電話かけてくるのは知ってるけど、家族が直々に園に来てる職員、見たことがねえ。

園長にアポとる時、電話で説明するのも面倒くさかったよ。なんて伝えたらいいかわからないもん。もう完全に「パパが遊びに行きたがっています」以外の説明がわからない。「うちのヨセフを連れて行きます」と言った。以前、母が園に来た時に「お母さんがマリアなら、杏部屋先生はイエスさまね」って言われたりしたからね。いやいや、マリアの背後にいる子息こそメシアだ。頭の要領的にもね。

父がご挨拶したいらしい、相談も兼ねて、お会いしていただけませんかと頼み込んだ。園長先生ってもんはほんとうに多忙なのに、わたしとその父のためにお時間頂戴しますなんて言ってられねぇよ。

 

 

で、当日父を連れて職場へ行ったんだけれども、父が永遠にひとりで喋ってるんだよね。

キャッチボールじゃない、ずっと父が自分が言いたいことを喋ってる。

娘の状態があまり変わらず悪いこと、しばらく働けてないのが申し訳ないこと、可能なら長い目で見ていただいて復職を待ってほしいこと、家では仕事に対する意欲は見せているが気持ちに身体がついていかないこと……。

これをね、ふつうの人々なら言葉のキャッチボールをするでしょ、相手の相槌を待ったりね。

しかし父はずっと、マシンガンというほど饒舌でも言葉がうまいわけでも早口でもないんだけど、壁に向かって話してんのかお前、というくらい一方的にトークをしていた。

父は年齢相応の役職を職場で任されてるときく。取引先に謝りに行かなければ、というような言葉もよく聞くし、たぶんちょっと自分のこと謝罪のプロだと思ってるよね。

でもなんだかね、これじゃあちょっと何かズレてると思ったんだ。

わたしの父親には、傾聴力がないんだ。

 

止まらぬ父の横でうんうん、と頷いて父の言葉に同意したり、いやはやと適度にツッコミを入れつつ。

わたしはずっと園長先生が圧倒なされてないか気になっていた。杏部屋先生のパパって、あなたに似らずによく喋るのね、なんて思われたくない。なんでアポとっといて、相手の話のペースもみないでひとりでガンガンに話せちゃうんだろう。ずっと父がわたしの横で空回りしているみたいで、恥ずかしかった。

 

ひとしきりたちが話し終わったら、次は園長のターン、という感じで園長先生がご丁寧に言葉を紡いだ。今退職、というのもアリだがいつでも戻って来られるようにする、首を切るようなつもりは毛頭ないよ、ということをやさしく丁寧に教えてくれた。子どもが好きだ、というわたしの気持ちが勿体無いと言ってくれた。

園長の器のデカさをわたしは実感した。

これまで幾多の『保護者』と話してきたことだろう。やはり保育者をやるってことは、傾聴力がないとできないもんなんだよ。子どもに対してもそうだし、大人に対してもそうだ。うちの父親よりぶっ飛んだこと言うマシンガン保護者だって相手にしてきたはずだ。たくさん、保護者対応に疲弊して今日ここに座られているのだろう。己の屍を何体超えたらここまで空回りしている父親を包み込んで、いつもの園長のペースで喋れるんだよ。まったくね。

 

父はこの時のことを、母方の祖母に対して「ちゃんと大人の話してる娘が気味悪かった」とわたしを皮肉りながらも褒めてくれたが、わたしは冷や汗が出る思いだったよ。

パパ、それで謝りのプロだとおごっちゃあダメだ。

パパは人のおしゃべりをうんうん、とよく聞いて「そうだね」って共感してあげる力を持たなきゃね。

保育者として、営業所の所長を務める父親には思うところがあったのであった。

 

 

 

 

カルテを閉められる瞬間のむなしさたるや

血液検査の結果が出ました。

「健康です!身体は健康!!」って笑われた。

薬の副作用で、主にホルモン異常が起きてたりしないかと言うのをみてもらったんだけども。太りやすくなった気がするのは単純にただのデブなだけだったという決着がついた。

見てろ、これから痩せてやるからな。

ついに今日はご飯食べると吐き気がすごくて、もう無理して食べるのやめよう、と思った。

 

 

 

◯ずっと先生が異動なさることについて考えてる気が紛れるものが見つからないのでずっと考えてる。

◯死にたい。発狂しそう、爆発しそうだ。などなど。強い感情が起こった時にどう対処したら良いかわからない。ので、腕を切って感情を抑えようとしたり、薬をたくさん飲んで安定を図ったりする。

◯許されるなら(家族への影響などを顧みないとして)、死にたい。絶えずどこで首を吊るのがいいか、最善をシミュレーションしている。

◯"新しい先生"に対して不安があるわけではない。今の主治医ではなくなってしまうことがただただ苦しくて、つらい。

◯新しい病院について調べるんじゃなかった。わたしより愛を受けるべき人がいる。本当はわたしもそれになりたかった。

◯わたしは回復するのが、元気になるのが怖かった。注意獲得行動のような思いもあった。過激な見捨てられ不安だったのかもしれない。

◯(今の主治医が変更になってしまうことで)「頑張ったね」「きつかったね」 自分の求めている"自分の中にいるはずの『自分を肯定する自分』"失う感覚に近い。悪魔と天使みたいな。(「わたしに対するわたし」が悪魔で「わたしに対する医者」が天使という意)

◯主治医から離れて自立すべきだと思うがあんまりにもつらすぎる。とても痛い。耐えられない。

◯では、(わたしの願いが無条件に叶うことを前提として)どうして欲しいかと考えても。異動しないで欲しい以外に何もない。どうして欲しいのか自分でも分からない。

 

「明日も来ていいよ」って言われて薬も出されずに帰された。

入院をチラつかされたが風呂に毎日入れないことが不服だと申し立てて拒否した。

障害者手帳の診断書をかいてもらえるように主治医にお願いできた。写真を撮るために身なりを整えるのがだるいんだけど、5年くらい前に撮った就活時代のクソ芋写真の余りを使い回したくない思いが葛藤している。(多分撮り直しても芋感は変わらない)

 

 

困っていることは、イライラがひどいこと。とりまき人間(家族・友人)と関わりたくないのと、物音を神経が過敏に受け取りすぎて不快がすぎる。

悲しくなるとすぐにODしてしまう、したい衝動がやってくるので 安定剤が切れないように飲む回数と容量を増やして欲しい。

明日も『人に頼る』『言葉で伝える』を頑張る。

 

いつからしれっとエチゾラムが一日2回に減量されてるんだ??

良い判断だ。

 

 

 

 

斎場のステレオはだいたいBOSE

狙ってるんすか?

毎回弟と確認してクスりとしてます。

 

今日は大叔父の通夜に行きました。

父の母の弟に当たる方で、まあ法事以外では会ったことがなく。最後にあったのは十五年前ほどかもしれなかった。

棺の中の顔をよくよく見たけれど、とても綺麗だった。みんなは「じいちゃんなってたんだね」と言ってたけど、まあ目尻のシワが深くなったかな、くらいでわたしには十五年前とさほど変わっていないように見えた。

突然体調を崩し、心臓を悪くして。一週間ほどの入院生活の果てだったそう。

とまあ、今日この一日で色々なこといいあれこれ感じたのですが、それをひとつひとつかいつまんで晒しておく労力はないので、簡単にここに書き連ねておきまする。

 

 

◯遺影のチョイス、それで良い?

そんな部屋着みたいなのでいいんですか?大おじの御二方……。(笑顔はいいんやろうけど写りがちょっとイマイチかな……と思ったの)

わたしの祖父母はなるべく、わたしが決めてやりたいと思った。こんなテキトーなときに撮った写真にされてしまうなら……!(ま、この写真が撮影された時間に重きを置いて選ばれたのかもしれないけどね)

わたしだったらスーツとか着物とかでキマッてるときのお写真使って欲しい(例:結婚式の写真を使われた叔父、七五三のお宮参り時に着物でおめかしして来てくれた時の曽祖母)もちろん顔が盛れてる前提でね

 

◯棺桶の中で何着たい?

大叔父はスーツ着せられてたんだけど。社畜のわたしのパパにスーツ着せて納棺したら怨霊として蘇りそうだよね。あの世でも働けというのか!とな。

わたしはふつうに死装束を着たいです。儀式として。

 

◯わたしは自分より若い女に嫉妬する

痩せてるはとこを見て羨ましいと思った。あれになりたい!痩せる!という決意だけをまた胸に秘めたのであった。

 

◯さすが末っ子!弟のコミュ力

真似できねえ。親戚に可愛がられちゃうタイプ

めっちゃペラペラ喋ってた。

 

◯話題を振られてもネガティブな返事

何か言われても「それは好きじゃない」「してない、下手だから」とネガティブな返答を投げかけることで会話を膨らまさず終了させるというクズコマンドを知らぬ間に打ち込んでいるということに気がついた。

あんずはスマブラは?と訊かれて「しないねえ、下手だし」とお得意のセリフで言っちゃった。

 

◯みんな意外と御院家さまの説教を楽しみにしている

アンチキリスト教とのわたしだけかも、と思っていたら隣に座っていた父親が「説教がっかりだわ〜〜」と言い出し、さらに隣に座る父の従兄弟と盛り上がってた。人前でお話しするのがあまり得意そうではない御院家さまだった。

 

◯なんだその帽子、ふざけてるのか!

宗派の問題ですかね。御院家さまが西遊記でしか見たことがないような形をした帽子を召して現れて、ついついおもしろおかしく捉えてしまった。浄土真宗ではあまり見てこなかったね。

 

◯うどんはコシがない方がいいんだ……

今までコシのあるうどんが好きだと思ってたけど、実は気分によるかも。

ちなみにラーメンは如何なる時もハリガネ。

 

◯牧のうどんの『謎』

永遠に無くならないうどんとして有名だが、私の父の食欲の前ではそれは無効。麺が出汁を吸う前に父が平らげてしまい、無限増殖が見られなかった。

 

◯みんな意外と気がついてないんだな

わたしが無職同然だということに!

フツーに仕事の話を聞かれてフツーに嘘答えてる。

 

◯しかしみんな気づいてるんだな

だ〜れもわたしのママがなぜ参列しないか聞いてこない。

普通の夫婦なら多分「あれ?お嫁ちゃんはどうしたの?」ってなるでしょ。体調悪いかな、仕事忙しいのかな、って。

 

◯はとこにお礼が言いたかった

わたしの子ども好きの所以ははとこにある。法事のたびに寺で一緒に遊んであげていた。あの楽しさが、わたしを保育士に変えてしまった。

まあ、薄給ですることもたくさんで精神力を毎日削られるお仕事だけど、得るものだって多いです。愛ある仕事ができているのも、はとこちゃんのおかげなんだ、って一言はとこちゃんに言いたかったなぁ。

人見知りしすぎて。せめて去り際に「じゃあね」って微笑みながら気さくにさようならのご挨拶をして去ることしかできなかった。わたしお姉ちゃんなのに。

 

◯だ〜れも大叔父の話せんやんけ!

悲しいくらいに誰も話題にしてなかった。

これが年寄りの葬式ってやつ。うう、この役が自分の祖父母世代に回ってきている事実がつらい。

そして結局大叔父がどんな人だったか、わたしはよくわからないまま終わっちまった。

 

 

 

 

ま、ひいばあちゃんの葬儀の時の御院家さまがおっしゃってました。

自分の残してきた子ども、その家族孫ひ孫がこうして一同に会してくれることが、故人が命を紡いだ証なんだ、と。

うん。それを曲解して ウキウキ!親戚に会いたい♡法事デー!みたいになっても許してくれるよね?おっちゃんならね??ってやつよ

 

 

ばあちゃんの骨拾い

訃報を聞かされた。大叔父が亡くなったらしい。

父方の祖母の弟だ。心臓を患ってたらしい。

何週間か前、大叔父の娘(すなわち父のいとこ)と会ったが、大叔父の容態についてはなにも聞かなかった。心臓が悪かったことはもちろん、身体が悪くて入院していることも、知らなかった。

なんでこう、うちの親戚どもは隠蔽体質なんだろね。まただれかが突然死んでいきそうで、怖いよ。

 

これで喪中は四年連続記録に突入した。

 

わたしは、父と共に通夜に参列することにした。

ほんとうは葬儀に行きたいのだが、病院の予約を入れてしまっている。また、絶妙に遠方で博多市で通夜・葬儀が執り行われる。

博多市の近辺に住んでる弟はどうするんだろ、と思った。

わたしは結構人の情に弱いところがあるので、やはり世話になった人との最後の別れには立ち会いたいという思いを大切に、ここ3回の通夜葬儀に参加してたわけだが。

大叔父はもう十数年会ってないし、会う時は決まって別の人の法事。

県内といえど、市が違えば、都市が違えば関わりは薄かった。

訃報を聞いてショックではあったけど、悲しさはそんなになかった。

 

母も弟が通夜に行くのか気にしていた。ああ、母親は来ないよ。うちの家庭は仮面夫婦。将来的には離婚決定。しかしわたしがゴネて精神を壊したから何となく有耶無耶になっちゃった。

母は「コロナになった時(弟は)一人やけ(看病する人がいないだろう)。行けせんでって(父に抗議を)言っとって」と言われた。

ああ、父方の、わたしのひいばあちゃんが死んだ時にも葬式に出るな、って言われたなぁ。ということを思い出していた。

仮面夫婦を続けるには子どもが二人の言葉の橋渡しをしてコミュニケーションを円滑にしてやる必要がある。いつもの他愛もない内容だとだるさが増すのだが、なんかこういうシビアな内容になると、すさまじく「これはわたしの出番だ」とばかりに父親にお伝えした。

「弟は明日来るって?

ママは『コロナだから行くな』って反対してるけど…」とこっそり教えた。

父は「来るよ」「でも強制はしてないけん」と言っていた。

ふむ、ここはわたしからも弟へ助太刀をしてやるしかない、と思った。

 

わたしは弟にLINEをした。

『明日お通夜来るのかい?

ママが「コロナやけ控えとき〜」と言ってたことだけ』と伝えた。それに加えて、一人暮らしなのにコロナに感染して自宅療養なんかになったら、本人がきつい思いをするだろう、と。

弟は『行くよーん!!』とかなりノリノリの返事。

そして、その次に届いたメッセージを見てなんだかジーンと来てしまった。

『(ひい)ばあちゃんの骨を拾わなかったの普通に後悔してるから』だそう。

 

父方の曽祖母が亡くなったのはコロナがまだ世に蔓延り始めてすぐのころで、はじめての緊急事態宣言が出されて、解除された直後だったろうと思う。

曽祖母と血縁はない母と、母方の祖母は葬式には出るな、と説得してくる。特にわたしは保育士をしているのだから。園にウイルスを持ち帰って、ばら撒いたら大変だ、と。

その言い方もまた、声に悪意がこもっている。わたしの母親はこういう話し方が上手いのだ。声色に、自分の感情をむき出しにして、相手に伝えるのが上手いんだ。わたしはそんな母と祖母の「行くな」のやりとりを聞いていて泣いてしまった。わたしのだいすきな曽祖母。わたしを愛してくれた曽祖母をわたしの母と祖母は蔑ろにしている、と感じてしまったからだ。

しかし、せめて葬式だけでも出たい、と親の抑止を振り切って葬儀には出た。

母からは「火葬場にはついていくな」と言われ、わかった。と応じたが。

やはり、わたしは火葬場でのお別れも大切だと思う。

 

8歳の時に叔父を亡くした時、悲しくてひたすらに泣いていた。しかし、叔父の遺体が焼かれて骨になって出てきた時、悲しみがスッと軽くなったのを感じた。

生まれたままに、育ったままの姿でいられる最後の時を見守りたいし。あの、誰が着火ボタンをどのように押すか、ってのにドラマがあるんだよな、ってことに。これは祖父の葬式の時に気がついたんだよね。

火葬場は必見だってば。

 

母との口約束に叛いて、弟と火葬場まで行った。

しかしここで二時間弱の待ち時間、この間に感染してしまうリスクがある。と思い、わたしたちは骨までは拾わずに帰ってきた。

 

しかし、弟も無念に感じていたんだなあと思ってわたしかなかしいきもちになった。

わたしだけだと思ってた。こんなに自分の境遇にへこたれて精神まで壊してしまったのは。しかし、弟も弟でいまだに母親の言葉や態度、顔色に縛られとるのだ。

そして何より、弟が何だかさ、わたしと同じように。曽祖母に愛着を感じて、きちんと見送ってやりたかったな、って後悔してるところにもグッときたり、悲しくてガクッときたりした。

 

 

 

ちょっと眠剤で頭がふわふわしていて

あまりすっきりとした文章が書けないんだけど

わたしの弟からいただいた教訓です。

『親戚の葬式には積極的に出ろ』

 

 

 

黄色い犬をわたしの手がつぶした

↑今日の瞑想で見えた光景。

 

 今日の悲しみを忘れないために記録をしておきます。

 

祖母から、猫日記がLINEが届く。

祖母の家にいついている三毛猫のべーちゃん。

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わたしは動物が怖くて触らなかったが、24歳にしてはじめてまともに動物を撫で、抱き、愛でる楽しさを知った。べーちゃんは人懐っこくて、人に撫でられるのが大好き。恐る恐るわたしが触っても怒ったり、嫌がったりしないで大人しく撫でさせ、気分が良くなると喉をゴロゴロと鳴らす。

 

先日、べーちゃんの家にお泊まりしてべーちゃんと二人きりで眠った。

べーちゃんは毛布のふわふわとした感触が好きで、わたしの毛布の上に丸まって眠っていた。首がモサモサするかと思えば、目を開けると甘えたべーちゃんが首元にまとわりついてチンチロの首巻きみたいになっていたこともあった。べーちゃんもすっかりわたしを"家によくいる人"と認識してしまったようで、連日玄関先に座ってわたしが家にやってくるのを、もしくは帰ってくるのを。待っていたらしかった。

 

 

今日もべーちゃんに会いに行こうかどうか迷ったけど、家を出るのがめんどくさくてぐだぐだしてる間に夕方になった。

 

祖母の家にお客さん、Kさんが来ていたらしい。これはいつものことだ。Kさんは中学生の孫娘ちゃんを連れてきたようだ。中学生とはいっても不登校らしく。何故学校に行っていないかというところまではわたしには知る由もないが、祖母曰く「お母さんが育児放棄してる」らしかった。つまりお客さんの娘さんのことだ。

この中学生のお孫ちゃんにはわたしの弟と同い年のお兄ちゃんがいて、彼は職場いじめを受け、一旦職場を休んでいたそう。彼もよく働き、きちんとしていると言って、いつも祖母が絶賛している。

そう言われるたびに胸が痛む。わたしは彼のように働きもせず、きちんともできない。比べられて、羨まれてるような気がするのだ。これは、事実だ。

わたしが料理などの家事ができない(やる気がないのでしない)んだけれども、それを非難しているのを聞いたことがある。最近では大晦日。あの日の祖母はあからさまにわたしに対してピリピリしていたし。リビングから離れた台所で、わたしの母に向かってブチブチ言っていたけど、祖母はいつも声がデカいので。耳に入ってしまった。いや、母の「一人になったらするよ」という返答がはっきり聞こえたことで、ああ、ほんとうにわたしのことを非難してるんだな、ということが分かった。

 

今日はわたしのいとしのべーちゃんを、Kさんとこの孫娘ちゃんが相当遊び相手になってくれたようだ。

あの遊びたい盛りのべーちゃんが遊びすぎでくたびれあがるほどに。

この報告を祖母からLINEで受けて、わたしは猛烈に孫娘ちゃんに嫉妬した。中学生の女の子相手に。

根気よくべーちゃんと関わってやってるのは、祖母を除けばわたしだけだと思ってた。べーを孫娘ちゃんに近づかないで、と思ってしまった。

 

わたしは泣いた。

べーにわたしは必要なかった。

べーは愛嬌を振り撒くのが上手いし、人見知りはしない。愛を与えてくれる人は、たくさんいる。

わたしの祖母はとても愛に溢れる人だ。きっと孫娘ちゃんのことを受け入れて、気さくにかわいがってやってる姿が目に浮かぶ。

お母さんが育児放棄だって。不登校だって。

かわいそうに。

わたしよりつらい境遇を生きているんだ。孫娘ちゃんは頑張ってるんだ。

わたしは?何も頑張ってない。

わたしは、猫からも、自分の祖母からも愛をもらえる資格はないんだ。

 

 

 この悲しみに伴って、入院中の苦しみを思い出した。

誰にも、どこにも吐き出せる場所がなくて苦しくて仕方がなかったことだ。

わたしは自分の主治医が大好きだ。愛着対象みたいな、特別な執着がはたらいていると思う。

外来にいた時から、主治医がたびたび『女子高生の患者さん』の話をしていた。彼女はわたしより先に病棟に入った先輩らしい。その時は、なんとも思わずに聞いていたけど。入院して、主治医が病室に来て話をしてくれる。その時に、必ずそのJK患者の話題が上がる。若い患者がわたしとその子くらいだし、家庭環境とかちょっと被るところもあって、チラつくんだろう。看護師も混同してたし。

でもわたしは傷ついた。目の前には今、わたしがいるのに。先生は他の患者のことを考えている。心はここにはないんだ、と悲しくなった。つらかった。

 

病棟を移った時、隣のベッドが因縁のJK患者だった。まともに喋ったことはなかったけれど。初めて彼女を一眼見た時、「羨ましい」と思った。若くて可愛い看護師さんと和気あいあいに喋っていたから。病棟が変わると、以前の病室の看護師さんではなく総替え。はじめての看護師さん、はじめての患者さん、はじめての複数人部屋。そんな中、なんとなくモヤモヤを抱いていた、若く麗しきJKの患者さんを見て、苦しくなった。看護師さんとも患者さんとも、彼女はうまくやっていた。わたしは退院するまで孤立して、病室に引きこもっていたのに。彼女は就寝時以外はどこか(たぶんホール)に出かけていて、姿は見なかった。

医者にも泣きついた。JKちゃんの名前は挙げなかったけど、「他の患者さんはわたしより上手く生きている」って大泣きしたんだ。

 

退院してもJK患者さんの話題は度々上がる。そのたびにわたしは苦しくなるし、医者との距離感を感じたりすると彼女の顔がチラついて仕方がない。

彼女はわたしよりも若い、幼いから。わたしよりも丁重に扱ってあるであろう。そりゃそう、5歳児と0歳児では抱き方も寝かしつけ方も違ってくる。

患者さんからも、看護師さんからも愛されていた。先生も彼女を愛している。わたしより、大切な患者さんに決まっている。

 

 

この事実、真理、あるいは妄想を感じるたびにわたしは死にたくなる。

明日は早起きして、先生に会いに行こうかな。

その帰り道で、首を吊ってこようか。

 

 

 

杏部屋親方先生の次回作にご期待ください。